沿革
私たちの母校、香川県立高松商業高等学校は、明治33年(1900)高松市浜ノ町見性寺内に創設した高松市立商業学校と、翌年、綾歌郡坂出町に誕生した香川県立高松商業学校を母体として創設されました。
大正11年(1922)4月1日予科を廃止し、5年制に改め香川県立高松商業学校と改称。昭和20年(1945)7月4日戦災のため校舎全焼、高松市立第1中学校ほか4か所に分校場を置く。昭和24年(1949)2月1日現在の場所、松島町1丁目18番54号に校舎新築移転。平成21年(2009)より校舎の建て替え工事が始まり平成23年(2011)3月完成しました。
紫雲会東京支部は、昭和10年頃、
鈴木祥枝(第1回卒、東京海上火災社長)、松本昇(第1回卒、資生堂社長)、鎌田正明(第2回卒、東京商工中金理事長)の3名が中心となり、高松商業の同窓会を発足させ、岡内英夫(後の資生堂社長)が事務にあたっておりました(母校百周年誌)。
初代支部長は鈴木祥枝氏(明治36年市立第1回卒、東京海上火災保険社長)、第2代は鎌田正明氏(明治38年卒、日本興業銀行参与、商工中央金庫初代理事長、国民相互銀行社長)、第3代は、岡内英夫氏(大正15年卒、資生堂社長)、第4代は、伊丹宏文氏(昭和12年卒、フジコピアン社長)、第5代は、溝渕利幸氏(昭和28年卒、高松商事社長)第6代は、安西愈氏(昭和32年卒、安西法律事務所)、第7代は、北條勇氏(昭和39年卒)
は高商野球部の出身であり、第46回神宮大会での優勝や第88回選抜大会準優勝など東京支部一丸となっての応援やオリーブ会(女子会)の新設や会員交流としてボーリング大会・カラオケ会・ウォーキング会などの開催にご尽力されました。また、未曽有の感染パンデミックを経験し総会が開けない、会員が集まれないというジレンマとの戦いでもありました。
第8代の現支部長は、堀 眞英氏(昭和54年卒、株式会社全日警ビルサービス代表取締役社長)が新たに令和5年4月をもって就任致しました。
紫雲会東京支部の現在の基本指針である、会員による会員のための活動をより推進し、親睦と交流を活発化し、母校との絆をより深め若年層にも総会に参加しやすくするため、支部長・役員会を補佐する常任理事会や理事、年次幹事に若人の登用を進めてまいります。
東京支部は、本部紫雲会、大阪支部、母校との連携を密にして共に発展・成長をしていきたいと思っております。

